世界一わかりやすいマズローの夢実現法則(アンダーライン)

人間は概して、新しい環境や、予期しないことを避けたりする。

これも安全を欲求している証拠である。

 

中にはこのような欲求をほとんど持たない人々もかなりの割合で存在する。

日々つつがなく生きられればそれで満足という人はこの欲求は無縁である。

 

金銭報酬や肩書報酬といった欠乏欲求を目的としているうちは、自己実現は本物ではない。

 

人間にとっての自己実現は、「もっと凄い自分にめぐり逢いたい」という強烈な欲求であるべきなのだ。

 

イチローにしても、ほとんど注目されないドラフト4位でオリックスに入団している。

 

いわゆる心理学的いう「自己イメージ」という概念がその人間の運命を決定づける好例である。自分に限界を与えているのは、実は自分自身なのである。

 

「理屈じゃないんです。身体が感じるまま、求めるままにやる」(イチロー心理より)

 

だが、これまでの経験上、上司から指示されて動くよりも、自発的に計画を立てて動くほうが仕事が楽しくなるということは感じていた。

 

その代わり、あまり自分が興味を示さない、ただしやらなければならないこと(人生には結構この作業が多いもの)は、X理論のほうが楽なのである。

 

作業の内容によって、モチベーションは左右されない。むしろ内容の面白くない作業の中にこそ、好ましいモチベーターが潜んでいることが多い。

 

内容の面白い作業なんてプロの仕事の中にはほとんど存在しないと考えたほうがよい。ここに、少年野球とプロの仕事の決定的な違いがある。

 

「僕の中のスランプの定義というのは、『感覚をつかんでいないこと』です。結果が出ていないことを、僕はスランプとは言わないですから」(イチロー

 

彼は結果にはいたって無頓着。だから5打数5安打の日よりも、ノーヒットの日の方が成長したと感じられる。なぜなら5打数5安打の日はそこから学ぶことは何もないけれど、5打数ノーヒットの日は進化する理由がその中に潜んでいるから。

 

あえてプロセスに意識の照準を合わせることにより、ひょっとしたらうまくいった時よりも高いレベルのモチベーションを私たちは持つことができるようになる。

 

19世紀後半を生きたゴッホは、生前その絵を欲しがる人間は皆無だった。実際この不幸な画家は生きている間に1枚の絵を売ることすらできなかったという。

 

「とても楽しいのさ。外にいること、人と話すこと。家畜と一緒にいることがね・・植物・鳥・花・動物・・なんとでも話をするよ。自然の全部がずっと友達さね。自然は毎日変わっているよ。せいせいするし楽しいねぇ。くたびれて家に帰るのが残念でね。うんと働かなくちゃならない時だって素敵だよ」(フロー体験 喜ぶの現象学

 

日常のルーティーンをいつもと同じように仕上げることが、彼女にとっては一番楽しい作業なのである。

 

別に進歩という言葉で代表されるような(本当は進歩しているはずであるが)ものを快感にするのではなく、目の前の作業をキチっとやり遂げるだけで、私たちは仕事の中に幸福感を見出せるようになる。

 

私がここで強調したいことは、フロー体験とは、なにも創造的、革命的なことにチャレンジする人たちだけのものではないということである。

 

いずれにしても、フロー体験により仕事ができる人は、幸福な人なのである。

 

1.望みの金額をはっきりと決める

2.それを手に入れるためにどういう行動を起こすかを決める

3.それを手に入れる期限を決める

4.それを手に入れる計画を練り、行動を起こす

5.前の4つのルールを紙に書き留める

6.紙に書いたことを毎日二度、朝起きた時と就寝前に大きな声で読み上げる

 

彼は「人間は本来成功するようにできている」と言う。ところが、残念ながら、私たちのほとんどは、そのことに気づくことなくこの世から別れを告げている。

 

私が提唱するポジティブに生きるために必要な7つの要素をここで紹介しよう。

1.できるだけ陽気に振舞う

2.他人に好意的に振舞う

3.他人の失敗に寛大になる

4.目の前の一瞬に意識を集中させる

5.1日10回笑う

6.1日10回他人をほめる

7.1日10回感謝の言葉を表す

 

私たちはたとえそれが良いことだとわかっていても、いままでの習慣を打ち破って新しい習慣を始めることを嫌う。

 

「『他人からどう見られているか』などという考えは捨てなさい。むしろ自分に残された人生を、自然が求めるままに生きることに満足するのだ。(中略)幸せは、論理的な思考にも、富にも、名声にも、好き放題の中にも、どこにも存在しないのだから。では、幸せはどこにあるのか。己の内なる自然が求めることをすればよいのだ」

 

「成長するのを止めた時、それは死を意味する」くらいの気概で目の前の作業に取り組もう。

 

「結果を残すことと同じように自分の信じたことを続けること。そのプロセスが大事。目標が達成できなくても、それに向かって頑張ることが大切」

 

ジャズを聴いてきたの巻

古民家風のカフェでジャズを聴いてきた。

大宮駅東口を出て10分ほど歩くと、氷川神社の参道に突き当たる。

日曜日の昼下がりは、なかなかの人でにぎわっていた。

 

正直空気があまり良いとは言えない飲食街を抜けて参道に出ると、

なんとも涼やかな雰囲気を感じる。

 

何百年前からあるこの道を、今日私は歩く。

 

右手に団子やを横目で見ながら、会場にたどり着いた。

築40年ほどの一軒家を古民家風に内装しているこの家には、

すでにたくさんの人が到着していていた。

 

演奏家はピアニスト、バイオリニスト、そしてベーシストの三人だ。

 

バイオリニストの演奏する表情が、とても楽しげで印象的だ。

リラックスして自然に身体を動かし、笑みをたたえて演奏する姿に、こちらも楽しくなる。

 

ベースの男性が、ジャズの演奏の流儀について説明する。

ソロが終わったら曲の途中でも拍手などしてほしいとのこと。

 

その次の曲から、みんなが曲の途中でも拍手したり手拍子したり、生演奏の盛り上がりを見せていた。

 

私もチェロを演奏するので、ベースの音程が自在に取れるのに感嘆の気持ちで眺めていた。

あれだけ長い指版を行ったり来たり、遠くに飛んだり、それでも音程は安定している。

ものすごい練習のたまものなのだろうか。

 

涙そうそう上を向いて歩こうの二曲は、観客皆で合唱した。

ついつい小さな声で口ずさむ・・もっと大声で歌いたいけれど・・。

 

ライブが終わると外はだいぶ暗くなっていた。

氷川神社にお参りしてから賛同を歩き、帰った。

途中17時になると、参道の行灯ランプが点灯した。

自分が本当に望んでいる状態

令和4年度司法書士試験に合格した。

1年8カ月、毎日一日も休まず勉強して頑張った結果。

色々な人の話を聞くと、人生で一番うれしかったという声もよく聞く。

 

僕の場合、うれしかったが、そこまででもなかった。

思えばこの時の感情が自分の本心をすべて物語っているのではないか。

 

つまり、自分は本当は司法書士になんかなりたいわけじゃないのだ。

 

今のままの自分ではいけない感じがしている。

今の職場にものすごい不満があるわけではない。

何がなんでも司法書士に転職しなければと思わない。

でも、せっかく合格したのだから、仕事にしなくてはという声も聞こえる。

 

結局司法書士試験は、自分の鎧の一つであった。

僕は大学受験の時にあまり勉強せず、すごくいい大学に入れたわけではなかった。

そのことが今でも心の底に後悔とコンプレックスとして残っている。

 

時は戻せないので、今からどんなに頑張ろうと、大学受験をやり直すことは不可能である。

そうすると、この自分の心の中の問題を本当に解決するには、

どうすればよいのだろう。

 

それはあるがままの自分で大丈夫、自分は今のままで素晴らしいと、

心の中のインナーチャイルドを癒してあげることなのではないか。

 

潜在意識に今のままでいけないという気持ちがあると、

どんなに頑張っても、もっともっと次へということになって終わりがないことになってしまう。

 

このことに気が付かないまま転職して司法書士になっても、外側の鎧はなんとなく

身に着けているが、やはり心の底で空虚な気持ち、満たされない思いを感じることになるのではないだろうか。

そして、それは自分の選択が誤っていたのではと悩んだり、終わりのない苦しみにつながっていくのではないだろうか。

 

自分を癒す。自分の潜在意識にいるインナーチャイルドを癒すというのが、自分の人生で真に取り組む価値のあることだという気がしてきている。

 

司法書士試験合格と、それに続く進路への悩み。

同時並行で学んでいるレイキのおかげで、自分の人生の深いところにある問題に気が付いた気がする。

 

とするとできることは、シンプルで、

・今の自分のままですばらしいと心から思う

・今の自分ではだめだと思っているインナーチャイルドの癒し

・過去の自分を責めるインナーチャイルドの癒し

・自分が喜ぶことをたくさん見つける

・自分の毎日をプラスで満たす

 

こんなことを継続していくのだ。

レイキの呼吸法と合わせて毎日毎日、今ここを感じて生きていけば、

遠くない未来に自分の心、波動、オーラも違ったものになっていくんだろう。

 

今日も勉強

司法書士を目指している。

 

20代の頃に数年勉強していた。

そして挫折した。

 

あの頃は勉強が苦痛だった。

思えば中学生の頃から勉強はできなかった。

勉強に対する努力ができなかった。

 

勉強って繰り返しやればだんだんわかってくる。

その繰り返しができなかった。

 

ゲームをしていたかった。

ドラマを観たかった。

 

それで勉強に集中できなかった。

 

でも今は、結構勉強できる。

毎週35~40時間くらい勉強している。

 

フルタイムで働きながら。

結構すごいな、と自分で思っている。

 

自分、結構頑張ってるな。

これを書いていてそう思った。

 

合格できるよう頑張ろう。

不苦者有知

森下典子著「日日是好日」を再読していたら、良い言葉を発見した。

『不苦者有知』

苦と思わざる者は知有り、と読むのだそうだ。

別の読み方としては、ふくはうち(福は内)。

 

知有る者でいたい。

苦と思わないことができる。

 

そう思って嬉しくなった。

 

苦に一見見えること、それを反応的に苦と受け止める。

それは誰にでもできることだろう。

 

それを別の解釈をして、苦でないんだ、と思えるようにする。

なるほど知のある者だ。

 

 

ぬいぐるみ

羊のメイプルという抱き枕を持っています。

二番目に大きいサイズで、室内犬の子犬くらいの大きさです。

 

普段は椅子に腰かけて眠っています。

休日の陽だまりの中、膝に抱っこしてネットしたりします。

なんとなく落ち着く感じがして、悪くないです。

 

一人暮らしは少し寂しい時がどうしてもあります。

かといってペットを飼うのは大変です。

寂しくない時も世話しなくてはいけませんし。

 

大人がぬいぐるみって、人にはあまり自慢できることではないのですが、

自分が心地よければいいです。

おそらく医学的脳科学的にも根拠がある安らぎが得られます。

 

家にいるのはベージュの子です。

とてもおすすめです!