「禅」、お金の作法(アンダーライン)

大切なことは、どこかで自分自身の線引きをしておくことだと思います。自分にはこれくらいの蓄えで十分だと思う心です。もちろん十分であるかどうかはわかりません。十分だと思っていても、足りなくなることもあるかもしれません。しかしそんな未来のことなど誰にもわかりません。100%十分な蓄えなで、しょせんは無理なことを知っておくことです。

 

巡らせるという気持ちだけは常に持っておくことです。誰かのために使うという心を忘れないことだと思います。

 

自分にとって大事なものは何なのか。自分が本当に好きなことは何なのか。それを探すことに目を向け始めたのです。それはすなわち、自分自身と向き合うということです。自分自身としっかり向き合い、自分の心と自問自答すること。そうすることで、自分にとっての生きたお金の使い方は見えてくる。

 

無い袖は振れませんが、袖の中に多少の余裕があるのであれば、気持ちよく使うことです。人間関係の潤滑油として、上手に袖のなかからお金をだすこと。

 

趣味と仕事の割合は1対9くらいが丁度いい。仕事が9で趣味が1です。時間のかけかたも、お金のかけ方も、趣味は1くらいに抑えることです。時間のかけ方も、お金のかけ方も、趣味は1くらいに抑えることです。あとの9は目の前の仕事に費やすことが良いと思います。自分がやるべきことに心を向けること。それを忘れてはいけません。

 

自分が大好きなことをただ純粋な気持ちでやる。それも1の時間とお金を使って。それが趣味を楽しむコツではないでしょうか。

 

仕事とは、自分の人生を豊かにするものだと思います。働くことは自分にとっての幸せにつながるもの。そうであることを信じたいものです。

 

将来の不安を少し脇に置いて、今という一瞬に心を集中させることです。

 

今こうして生きているという奇跡のような幸せを日々に感じてください。その時間こそが、余計な不安を忘れさせてくれると私は思います。

 

さて、欲しいと思う欲望をやり過ごすもう一つの方法を紹介しましょう。それは、その商品に心を奪われないようにするということです。簡単に言うならば、その商品のことを一旦は忘れてしまうことです。

 

欲しいという気持ちは誰もが持っています。しかし、その気持ちに心を留めないようにすることです。それはすなわち、執着心へとつながっていきます。この執着心こそが、さまざまな悩みや苦しみを生み出す元となっているのです。

 

「欲望を持つことが悪いことではない。それは人間ならば仕方のないことだ。ただし、欲望を心に留めてはいけない。」一休さんが伝えようとしたことはこれだったのです。

 

現代人の欲望を眺めながら、はたして一休さんはどう思っているでしょうか。きっと、「欲しいという気持ちばかりにとらわれずに、風が雲を運ぶように、欲望をスーっと受け流しなさい」と言うのではないでしょうか。

 

たとえ質素な夕飯であったとしても、夫婦二人で「おいしいね」と言い合って食べられること。一人暮らしであっても、日々の楽しみを見つけながら生きること。生きていることに感謝をしながら、一所懸命に毎日を生きている。幸せはその中にこそあるのです。もっと言うならば、こうして今日も生きていられるのです。それだけで奇跡のような幸せを手にしているのです。

 

こうした白黒をつける行為のなかには、本質的な幸福感はありません。なぜならば、白黒をつけるという行為には、終わりがないからです。たとえば同僚の誰かと比べて自分の方がお給料が高いとしましょう。勝ち負けをつければ、その時は勝っているという気分になります。しかし次に、自分よりもお給料が高い人が現れると、すぐさま今度は負けたという悔しさが襲ってくる。もしも白黒や勝ち負けをつけ続けたとしたら、その行為は延々と続いていきます。人生のすべてが白で、すべてにおいて勝つことなど無いからです。そう考えれば、白黒をつけるということは、まったく人生にとって、そして幸福感にとっては無意味であることがわかるはずです。

 

どちらでもいいというのは、結果にとらわれないということです。年収がまったくない。仕事もせずに親の年金で暮らしている。そんな生き方をすることは大きな問題です。とにかく自分がやれることを一所懸命にやる。与えられた仕事と必死になって向き合っていく。その結果として300万の年収しかなくても、それはそれでいいではありませんか。

 

これだけは誰とも比べない。このことに関しては自分のなかで白黒をつけない。そんなものを持っておくことです。

 

あなたにとって「どっちでもいいこと」。あなたにとってはさほど重要だと思わないこと。それを探してみてください。そしてその部分だけには、白黒をあえてつけないで放っておくことです。もしも相手が白黒をつけようとしたら、あなたの方からまけてあげればいい。穏やかな気持ちで負けてあげればいいだけのことです。

 

自分の身の回りに起きているマイナスのこと。それをプラスに変えていくこと。それこそが禅の基本的な考え方なのです。一見すればマイナスに見えれみえることでも、その裏には必ずプラスが隠れているものです。そのプラスを探すことが、すなわち幸せを見つける近道になるのです。

 

「心外無別法」という禅語があります。幸福や不幸というものは、何かの形で現れるものではありません。お金や物といった形に宿ることはないのです。なぜなら幸せや不幸せというものは、心の持ちようによって決まってくるからです。悩みや心配事も同じことです。すべての現象は、実は自らの心によって生み出されているものです。それが「心外無別法」の意味するところなのです。

 

お金だけでなく、何かが足りないのであれば、それを足していく努力をすればいいのです。一所懸命にそれを補うような行動を起こせばいいのです。その一所懸命の努力のなかにこそ、本当の幸せは宿っているもの。不幸の種ばかり集めていても、幸せの花を咲かせることはできません。さあ、自分の心をプラスに切り替えていきましょう。

 

10億円持っていてもそれをやるか

最近見たYouTubeの動画で、10億円持っていてもそれが欲しいか考えると、自分が本当にやりたいことなのかわかる、という話を聞きました。

 

これはとっても簡単だし、確かにすっきりわかりやすいです。

 

たとえば・・・

僕は最近、スマホを買い替えようとして、乗り換えキャンペーンで安く買える端末のなかから選ぼうと色々調べていました。

けれど、この問いにあてはめると、10億円持っているならそんな買い方はしません!!

 

10億円もっていても、必要以上に高価なものは買わないかもしれないけれど、不要な回線とセットにしてまで1万円くらい得しようとは思わないです。

 

たとえば・・・

昨日自転車で20分ほどの距離のスーパー温泉に行ってきました。入場料と食事で2500円くらいです。

これは10億円もっていてもする行動です。

10億円もっていても、タクシーではいきません。

 

ねっ

とても分かりやすいですよね!(^^)!

 

そして、10億円もっていたら今の会社続けるか・・・?

これはすぐやめるという答えはでないのですよね。。

何かあればすぐやめますが、すぐにでも辞表叩きつけるということはしません。

 

色々わかりますね。

これは覚えておいて、日常で使っていこうと思います。

 

今日のランチは大戸屋でハンバーグを食べたいなぁ・・

10億円持っていても食べたいなぁ・・・!

不安が覚悟に変わる 心を鍛える技術(アンダーライン)

何かをやるときに、できるか・できないかを考えるのをやめましょう。

「あの仕事、どうせ自分にはできないだろう」とか「そんな難しいこと、自分には無理だ」なんて考えてはいけません。できるか・できないかは、一旦置いておいて、行動する。つまり、ただ「やって経験すること」に集中しましょう。すると、次第に、「できる・できない」にかかわらず「やっている私自身に勇気を感じる」ようになります。そう、劣等感を抱いている人は、できないことに苦しんでいたのではなく、”勇気がない自分”を恥ずかしい存在として卑下していたわけです。

 

意識を外に向けましょう。たとえば「家族のために、やる」「チームのために、やる」「お客様のために、やる」など、自分が何かにトライする際には、自分以外のものに意識を向けていくのです。

 

もし「私はできない」「なんでだろう」「どうしてできないんだろう」という思いが湧きあがったなら、「ストップ!そうじゃない!できる・できないではなく、経験することにこそ意味がある」と自分に言い聞かせましょう。

 

たとえば、仕事で大きなプロジェクトを任せたいと言われたときに「できる・できない」というジャッジではなく「経験するか・しないか」のジャッジで判断すればいいわけです。さらに「経験するか・しないか」のジャッジで迷ったときには、「『何のために』『誰のために』やるのか」を明確にすればいい。

 

劣等感というのは、多かれ少なかれほとんどの人が感じています。あなただけではありません。ただ目を背けてはいけないのは、劣等感とは自己評価が高くなっている結果、意識が相手ではなく、自分に向きすぎている状態であるという事実です。

 

決断とは「リスク」を取ること。要するに、ステイトが下がり、落ち込んだ状態で決断しようとすると、「失敗したくない」「損をしたくない」「後悔したくない」という気持ちがより強くなります。

 

AかBかで悩んだときに、それぞれのデメリットを考察し、「どちらのデメリットを受け入れるか」という基準で選択してください。

バカのための思考法(アンダーライン)

半径5メートル情報の世界に閉じ込められていると感じることはないだろうか

五感が利く範囲もしくは目の前のことしか認識できないという意味だ

そして私たち人間は習慣の生き物なので、半径5メートル情報の世界になれてしまうと、その外側に世界が広がっていることもわからなくなり、そこから出ていこうとも考えなくなるのだ。私たちは常に馬鹿になっていくメビウスの輪から逃れられないのである

 

私の言う馬鹿とは、他人思考・他人価値観で生きることを指しているのだが、馬鹿を卒業するには人生の目的が必要となる

 

学校での神道行事の禁止・神道を学ぶことの禁止・修身の授業を廃止したことから考えれば、日本人特有の精神性と感性を鈍らせ、心のよりどころを奪っていしまうことが狙いだったと言える

 

何かを深く信仰し、それをベースに確固たる人生観を構築することは、主体的に人生を生きることに直結すると私は思うのだが、そういった精神性を破壊することを企画していたと考えられる。加えて、正しい歴史認識ではなく、自虐史観を植え付けることで、先人への尊敬や感謝の感性を鈍らせ、先人とのつながりを断絶させる狙いもあったのである。戦前までと戦後では、同じ日本人でも全く別物に作り替えられてしまったと言える

 

これは勝手な定義だが他人思考・他人価値観とは、自分の頭で考えるよりは誰かに考えてもらって、誰かに決意決断してもらいたいと思う生き方のことであり、また誰かの価値観に便乗して決意・決断することを望む生き方のことだ

 

自分では何ひとつ論じることもできないくせに、今朝の新聞に載ってたといえばなんとなくマウントをとれるし、新聞に代弁させておけば、馬鹿がばれずに済む。私たちにとってはそこが一番重要なんじゃないのか。

 

しかし私たちには、不安を回避すること以外に、もう一つ別次元の欲求がある。それは不安が確かなものであることを確認したい欲求である。

 

安心を感じるセロトニンという脳内伝達物質が他の民族と比べて非常に少ないと言われている

 

ハッシュタグ検索をして見つけ出したいのは、結局のところ自分が受け入れられる内容の動画や、自分と同じ価値観や意見を代弁してくれる動画なのだ

 

つまりマスコミがマスゴミなのは、私たち国民が馬鹿だからである

 

人間の脳は、強い脅威を与えられ制御のきかないストレスに晒されると、理性の中枢といわれる前頭前野の働きが弱まり、思考停止に陥ってしまうことが脳科学の研究でわかっている

 

また別の研究では、人間の脳には、難しく考えることを嫌う特性があり、短くて刺激的なわかりやすいフレーズを好むこともわかっている

 

大規模な危機が社会を襲った時、人は他者に対して攻撃的になり、権威あるものにすがりたくなる特性を持っている ドイツ国民の思考停止がナチスを生み出し、全体主義という名の怪物を跋扈させる結果を招いたのだ。そして、現在の日本人もこれと同じ状況にあることを私たちは注意すべきである

 

この現実世界に真実だと断定できるものは何一つない、というのが私の持論であり、かつ真理だと思っている。私にとっての真実が、あなたにとっても真実だとは限らない。人間の意識は自分を中心に世界観を構築しているのだ。これは世界の中心に自分が立っているという認識ではない。世界を観察している観察者は自分ひとりしかいないわけで、その立ち位置でなければ見えないものがあり、立ち位置が変われば違った世界像が出来上がるのだ。つまり自分にとっての真実しか私たちは理解できないということだ

 

たまにニュースで洗脳から醒めたというたぐいの話をきいたりするが、洗脳から醒めることと新たな洗脳を上書きすることは何が違うのだろうか。それこそ真実はどちらなのかを判断する基準は自分にしかない。そう、すべては自分で決めるしかない。

 

だが、どっちに転んでみても、私たちはプロパガンダの中を泳ぎ回っていくしかない、そしてどこまでが純粋な自分だけの意思決定なのかということも究極にはわからないのだ

 

私たち人間の脳は、自分の信念や価値観にそぐわない情報は「間違っている」と認定をし、素直に受け入れない傾向がある。現実をあるがままに直視しているようで、自分の信念を曲げずに済む情報しかキャッチしないようにできているのだ。あるいは、自分の信念や価値観に合致するようにしか現実を解釈しない特性を持っている

 

勘違いしている人も多いが、何も考えないことが思考停止なのではない。何をどれだけ考えても、自分の都合のいいようにしか考えない脳みそのことを思考停止というのだ。あれこれ一生懸命に考えて分析しても、物事をあるがままに観察していなければ何の意味もないのだ。

 

考える力を高めていくには、自分の思考を疑うことから初めてみるべきではないだろうか。

 

私たちが馬鹿から抜け出し、世界情勢などを読み解くカギは、「支配」と「支配からの脱却」にあるのではないかと考えている。支配という最も大きな構造が大前提にあって、その中に自由と不自由が混在しているという視点で世界の事象を見なければいけない。もちろんその世界情勢を読み解けたからといて、支配されている構造はかわらないが、私たち一人ひとりがそのことに気づくことでしか、世界を変えることができないのも事実であろう

 

主体的に自分の頭で考えるにはどうすればよいのか。まずは、自分自身に意識のベクトルを向けて自分に関心を持たなければ始まらない。普段の私たちは、自分に関心を持っていないわけではないのだが、自分が社会からどのようにみられているか、周りと比べて自分はどうなのか、という相対意識で生きている。つまり何かと自分の対比で世界を見ている。それがだめだとは言わないが、だから他人思考他人価値観の人生を生きることにつながり、自分から遠ざかっていくのだ。自分以外のことはよくわかっているが、肝心の自分がどこにあってどんな存在なのか、つかみきれないでいる。

 

どうやって生きていけばいいのかわからなくなった時は、7番目の方向を目指して進みなさい

普通方向と言えば、前後 左右 上下 の六つだと思うが、ネイティブアメリカンの認識では方向は全部で7つある。彼らの信奉するグレートスピリッツである創造主ワカンタンカは私たち人間に7つの方向を与え、私たちが何かを真剣に求め歩き出した時のサポートとなるよう7番目の方向に偉大な力を隠したという伝説として語り継がれているらしい。その7番目の方向とは「中心」、つまり「自分の中の自分」ということ。

ネイティブアメリカンの教えに従うならば、ちゃんと自分とつながることで、私たちは偉大な力を使い人生を創造していけるのだ。

 

世の中の多くの人が原因論で人生をとらえている。つまり過去が未来を創り出すという認識だ。しかし、本質的には今この瞬間を象徴する「反応=セルフトーク」が未来を創り出すと同時に過去の意味をも変えてしまう構造になっているのだ。いますぐ原因論から目的論へと人生の舵を切らねばならない。

 

心が先で現実が後 という言いまわしは、あのYouTube講演家鴨頭嘉人氏によるものだ。この言いまわしは、決して巷の安っぽい引き寄せの法則系の書籍やセミナーなどで謳われているようなものでなく、この宇宙の構造・原理原則を超シンプル且つ適格に言い表していると私は思う。先に心の中で現象が発生し、それが素粒子の振動に影響し、やがて物理空間にも現象としてあらわれてくるというのが宇宙の原理原則なのだ。だからといって、量子物理学を学べと言いたいわけではない。要するにあなたの意識と外側の世界は密接につながっているということが腑に落ちればいいわけで、どうやって腑に落とすかだけの話なのである。

 

私を含む多くの馬鹿な人間たちが、この激動の時代を生き抜いていくために必要な思考法とは、意識が現実を創り出しているという原理原則を学び、自らの意識と向き合っていくことなのだと私は考える。あなたの答えは何であろうか?

 

 

 

 

学びとは何か(アンダーライン)

熟練者は、いちいち考えなくても必要な行動が必要な時に自然とできる。

これを認知科学では「スキルの自動化」という。必要なことを意識を向けずにバックグラウンドでできるようになることである。

 

しかし、ただ時間をかければよいわけではない。エリクソンたちは練習の時間と達成度の関係を調べただけでなく、練習の質についても調査を行った。アマチュアレベルの人たちは楽しみのために練習をする。それに対して、達成度の高い熟練者たちは、練習を楽しみではなく、向上のために行っている。

 

誰もが本番では集中して必死になる。しかし、練習でどれだけ必死になれるだろうか。

エリクソンのよればアマチュアレベルの人と達成度の高い熟練者との間の著しい違いは、練習中の集中度だ。達成度の高い熟練者の練習は高い集中度を保つため、メリハリをつける。集中度が落ちてくると休み、集中力が低下したまま、むやみに練習を続けることはしない。一流の熟練者は極度に集中し、考え抜いた練習を、後に支障がないように持続できる最大の時間、行っているのである。

 

プロ棋士羽生善治さんは、集中するために「ぼんやりする時間」を極力つくると著書にかいている。

羽生善治さんは才能について問われると、「ひらめきやセンスも大切ですが、苦しまないで努力を続けられるということが何よりも大事な才能だと思いますね」と答えている。

 

日々を充実してすごすために

人生の満足ってなんだろう

 

人生って長いけれども、一日一日の積み重ね

今日一日、満足したな~って気持ちで過ごせたら、

それが毎日続けば、満足した人生ってことになるかな

 

よく自分のしたいように生きるっていう

自分のしたいことするっていう

 

そこで問題発生!

したいことがなんだろう・・・

したいように生きるってどう生きる・・・?

 

僕はサラリーマン

一日9時間は拘束される

通勤も長~い

 

けれど!

意識をどこに向けるかが大切

 

通勤時間は、好きなドラマやユーチューブ見たり、座れたら読書したり勉強もできるね

オフィースにいる間だって、空き時間に読書したり勉強もできる

ブログ書いたり色々自分の時間過ごせるね

 

いま僕は、社内セミリタイアの心意気!

ゆったり過ごす

真面目もいいけれど、会社より自分が一番大切

自分を一番大切にしないと、周りの人も会社も大切にできないからね

 

夜には日記を書く

少しだけ、今日どんなことしたか

どんな本読んだか

 

あー今日も、こんなことして充実してた気持ち!!うれしい!!

そう思って一日を終える

 

何もしなくてもお金がどんどんやってくる!【アンダーライン】

貧乏思考 は不安心配がベースである一方、

金持ち思考 は安心がベースになっている

 

簡単に言ってしまえば、不安や心配を捨てるだけで貧乏ループを脱出して、

金持ちループへ思考を返還できるということ

 

ものごとに対する不安や心配を捨てるには?

現代人は、様々なものごとに対して常に不安心配を抱えています。

そういった余計なネガティブ思考で頭を満たしているため、人生があまい面白いと感じられないのです。では、不安心配から離れて望む人生を生み出すためにはどうすればいいのでしょうか?答えは「問題を預けて、他のことについて考える」ことです。

問題を預けるとは、直面している出来事に対する解決策を無理に考えようとせず、流れに任せることです。

 

ほとんどの人がささいな問題に注目しすぎて、問題を必要以上に大きくしてしまっているのです。考えること・やることは他にいくらでも探せるのに、わざわざ問題にばかり意識を向けて自分をいじめているのです。

 

全ての願望は「楽しい うれしい、わくわく 気持ちいい」という感情がベースになっています

 

あなたはお金そのものというよりも、お金で得られる「快の気持ち」を求めているのです

 

「快」を得るために「不快」になるというのは「本末転倒」なのです

 

最大のチャンスや富は「ネガティブな人のことを気にせず、変えようと無駄な努力をせず、自分が良い気分になれることに集中すること」によってのみ得られるのです。

 

ビクビクしながらお金を使うのではなく、「いずれ入ってくるだろう」と気楽にお金を使えば、すぐにまたお金は入ってくるのです

 

貧乏に思考を向けない限り、貧乏はやってきません。人間関係もこれと同じで、気に入らない人に思考を向けない限り、その人は入ってこれなくなります。

 

「人生で引き寄せる人間は全て自分の思考から生じる=人生は100%自己責任である」ことを知り、その人物に対する思考を一切やめ、他のことに意識を向けたところばたりと連絡をしてこなくなった(手を向けてこなくなった)ものです

 

そう、「何も考えないと、何もおこらない」のです。嫌なこと(病気や貧乏、嫌な人間関係)に目を向けるから、それが引き寄せられてくるだけなのです。

 

あなたを脅かすのは、あなたの「思考」だけなのです。

 

自分が今お金を引き寄せる思考をしているのか、お金を遠ざける思考をしているのかどうかは、「気分」に注意を向けることで判断できます。お金に関する行動によって(支払によって)良い気分になるとき、あなたはより多くのお金を引き寄せる思考をしているのです

 

自分が経験することに関与しているのは、自分しかいない。そう気づくことで、嫌な経験を一切せず、人生をスムーズに送ることができるようになるのです。

 

嫌な気分でいる時に起こす行動はたいして意味をもちません

 

人を助けたい時は、相手の「望みを叶えた後の、幸せな姿」を思い浮かべてあげましょう

 

「裕福なイメージをもってあげる」ことで、永久的にプラスの影響を与えることができるのです

 

あなた自身の思考が変わるだけで、かかわる人すべてに良い影響を与えることができるのです

 

後々の楽しみのために、「今」の楽しみを自ら奪ってはいけません。楽しくて心地よいことをしている間、あなたはさらに多くの楽しみを引き寄せることができるのです

 

誰かが「お金は頑張って稼ぐべき」「働かざる者食うべからず」という信念をもっていたとしても、あなたにはなんの影響もないのです。他人は他人の信念で世界を創っているのです。あなたはあなたの信念で世界を変えることができるのです。

 

嫌なことを「わざわざ」考えるのをやめる

 

あなたが嫌だと思うことは、あなたが「抵抗という名の関心を向ける」から野ってくるのです。「これは嫌だ!これは嫌い!」というのも関心の一つなのです。

 

思考をコントロールして、嫌なこと・嫌な人にわざわざ頭を突っ込まずに、自分の人生を楽しめばいいのです。そうすると、嫌なことは引き寄せられてこなくなるのです。